ラスベガスに居を移し、早いもので5年目に入りました。
VEGAS MANIAと申します。
ブログ始動が大分遅れてしまいましたが、これからは出来るだけ定期的にラスベガスまた周辺地区の最新情報などお届け致します。
記念すべき第1回目は、、、
ラスベガスからは若干離れておりますが、カリフォルニア州にある「マンザナ日系人強制収容所」をご紹介します。
太平洋戦争時、アメリカに住んでいた日系人を「敵性外国人」と見なし、収容していた場所です。
全米に10箇所の収容所がありましたが、今回ご紹介する「マンザナ収容所」が最も規模が大きく、一時は1万人以上の日系人が収容されていました。ここは山崎豊子さんの小説「二つの祖国」の舞台にもなった事で有名ですね。
ラスベガスからですと、真西に位置する「デスバレー国立公園」内を走るUS190を西に進み、公園を通り抜けます。
US395にぶつかったら右折。あとはひたすら北上します。
Lone Pineの街を抜け、更に15分程北に走ると左手に見えてきます。
砂漠のど真ん中、シエラ・ネバダ山脈の麓です。
ラスベガスから約4時間。
上の写真は監視員の詰め所跡です。
現在はバラックなど主な建物は残っておらず、博物館があるだけなのですが、とにかく広大な敷地に唖然とします。
鉄条網で囲まれた1マイル平方の敷地の中にびっしりと数多くのバラックが敷き詰められていました。当時は(現在もそうでしたが)、毎日強風が吹きつけ、砂塵がバラックの部屋の中まで侵入してきたそうです。
博物館の中には、ここに収容されていた方々のお名前が記されています。
1941年12月7日(日本時間8日)、日本海軍による真珠湾への攻撃により太平洋戦争が開始されると、瞬く間に全米で日系人に対する排斥運動が始まりました。
新聞各紙も「JAPS!」との見出しがトップを飾ります。
日系人を「敵性外国人」と見なす法令が採択され、太平洋戦争開戦のわずか4日後には、1300名の日系人が危険分子と見なされ、サンタフェ拘置所(ニューメキシコ州)に送られました。
1942年2月には、ルーズベルト大統領が大統領命9066に署名をしました。
これは日系人を強制収容所に入れる事を許可するというものでした。
これにより、多くの日系人が財産全てを叩き売りし、一人につきたった2つのスーツケースのみを持って、この収容所に送りこまれた訳です。
博物館では展示物の他、20分ほどのドキュメンタリー映画の上映や、関連書籍やT-シャツなどのお土産も販売されていました。
博物館を出て、収容所跡地を車で一周回ります。
途中、このような「慰霊碑」が立っていました。
勿論、この収容所で亡くなられた日系人を慰霊するためのものです。
その背後には、北アメリカで最も高い山である「ウィットニー山」が雄大に聳え立っています。
投稿者 VEGAS MANIA 08:09 | コメント(0) | トラックバック(0)

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